認められたいという欲求
こんばんは!
たけしです!
今日、ふとしたきっかけから、友人との会話で、『どうして人は認められたいと願うのか』について話し合いました。
人は誰しも認められたい、愛されたいと願うでしょう。
その願いが叶うならばいいですが、もし叶わないならどうでしょうか。
つまり、誰からも認められず、愛されないならば、その人はきっと生きることが苦しいと思います。
だからこそ、他人から認められること、愛されることを過度に期待するのはとても危険なことだと言えるかと思います。
私は思うのですが、まずは自分自身が自分を認め、愛することが必要だと思います。
自分に自信がない人の多くは自分を認め、愛することが苦手なんだと思います。
私も以前は自分を愛し、認めることがとても苦手な人間でした。
自分の足りないところ、人よりも劣っているところばかり、気にしていました。
でも、それは私の思い込みであると気づくようになりました。
人から認められることには限界があるということです。
例えば、プロのサッカー選手を目指す中学生がいたとしましょう。
その中学生はプロになろうと小さい頃から毎日サッカーの練習をし、ついには日本代表になりました。
しかし、その人はこう言いました。『次は世界を制覇したい』と、、、
仮にこの人が世界を制覇できたとしても、その人の認められたいという欲求はもっと大きくなり、ついにはその願いに到達できなくなることは、想像がつきますよね?
だから、必要なのは人を認められたいということではなく、自分で自分を認められることです。
よくできた自分がいるならば、自分を褒めてあげることです。
また、人に愛されることではなく、自ら他の人を愛し、自分は愛されているのだと認めることです。
人に認められたいと願うのは人間の本能なのかもしれません。
言い換えるならば、人は愛されなくては生きていけないのだと思います。
人は誰でも愛を求めているのです。
認められたいと願うなら、まずは認めて、愛してみて下さい。
今夜はここで失礼します。