自分は弱い人間!?いや、自分を弱いと認められるのは本当の強さだって知ってた?
弱さを認められるのは本当の強さ
新学期、新年度に入り、学校や職場に通っているあなた、いかがお過ごしでしょうか。
学校生活、社会生活をする中でうまくいく時、楽しい時もあれば、反対にうまくいかない時、辛い時もありますよね。
去年の僕はどちらかと言えば、大変な一年でした。
大変だったこと色々ありましたが、一言でまとめると自分の弱さに気がついたことです。
自分の中ではこうなりたい、こういうことをやりたいと理想ばかりが膨らみ、それに向けて一年頑張ったのですが、うまくいかず自分の思い通りにならないことばかりでした。
でも、その中で気づいたのはありのままの自分の姿を俯瞰し、それに合った目標を決めなくては前に進めないことでした。
人は大変なことがあると、大体3パターンの対応をするかと僕は思っています。
一つ目は大変なことから逃げることです。
いわゆる現実逃避です。
大抵の人は大変なことがあると、それを忘れようとゲームをしたり、お酒を飲んだりなどするのではないでしょうか。
一時的には苦痛から逃れられるかもしれませんが、問題の解決にはなりません。
二つ目は問題の責任を他人や環境に押しつけること、つまり責任転嫁です。
例えばAさんという高校生がいたとしましょう。
Aさんは数学や物理など理数系の科目は得意ですが、英語がからっきしできません。
Aさんは自分が英語ができないのは中学の英語の先生の教え方が悪かった、両親が英語を教えてくれなかった、そもそも日本人だから英語はできないと話しています。
このように自分ができない原因を全て相手に押しつけていました。
僕もまさにこのタイプでしたね^^;
Aさんが言っていることは正しいかもせれませんが、問題解決にはなりません。
自分ができない理由を並びたてて言い訳をしているのに過ぎないからです。
じゃあ、どうすればいいのか、、、?
そうです!三つ目は自分の足りなさ、弱さを認めることです。
人は誰でも好きなこと、得意なことがあれば、嫌いなこと、苦手なことがあります。
僕は読書が好きです。なぜ好きかっていうと色々考えたり、分析するのが好きだからです。
考えるのは好きですが、それを表現するのは苦手です。
人前で自分の意見を述べたり、表現をするのは苦手です。
初対面の人と話すのは苦手だし、緊張してしまいます。
僕はもっと人と話すのが得意になりたいと思っているし、誰とでもうまく付き合える人を見ると正直羨ましいなぁと思ってしまいます。
自分自身に落胆してしまいます。
でも、それでもいいんだと最近思えるようになったんです!
確かに僕はコミュニケーションが苦手だし、口下手な人間です。
でも、そんな自分だけど、他の人よりも考えることが多いので、分析力や想像力はあると思ってます。
その個性というか、才能というのは誰にでも備わっているものではありません。
あなたも自分自身のことを考えてみて下さい。
苦手な部分、弱いと思える部分も実は裏を返せば、強みかもしれません。
あなたが繊細な人であるならば、それは傷つきやすく、一見気難しい人に思えるかもしれません。
でも、裏を返せばそれだけ細かいことに気がつき、気遣いもできる人なのです。
そういう人は芸術の分野で活躍できるかもしれませんし、人と接する仕事には適性があるかもしれません。
十人十色って言いますし、誰でもその人にしか備わっていない才能、個性というものを先天的に持っているはずなのです。
でも、僕たちはそれに気がついていないだけなのです。
その才能、個性というのは与えられてはいるが、見つけられなければ持っていないのと同じだと感じるでしょう。
先天的に与えられた才能は自ら見つけるしかありません。
つまり、後天的である自分の努力によって見つけるしかありません。
それは、学校で勉強する中で見つけられるかもしれないし、仕事をする中で見つけられるかもしれないし、趣味を通じて見つけられるかもしれません。
でも、大事なのはスーパーマンのような万能な人間にはなれないということを認めることです。
つまり、その人にあったポジションというのはあるけれど、どのポジションでもできるという人は存在しないということです。
それこそが自分の弱さを認めることだし、他人を認めることになります。
でも、弱さを認めるからこそ、前に進めるし、成長できるし、自分の才能を伸ばせるのです。
自分には何の才能もないと思っているあなた、、、
まずは自分の足りないと思えるところ、弱みと思えるところから目を向け、実はそれが長所、強みだと認めることから始めてみてはいかがでしょうか。
成功したい!?だったらまずは考えを変えなさい!
はじめに
突然ですが、みなさんは自分の人生の成功って考えたことありますか?
誰でも一度くらいは成功について考えたことあるのではないでしょうか?
成功というと少々堅苦しいかもしれませんので、別の言葉で言うと充実した人生、幸せな人生と表現できるかと思います。
世の中には成功に関する様々な書籍があります。
例えば、自己啓発本がその代表例と言えるでしょうか。
自己啓発本には、社会で成功している人がどうやって自分自身が成功してきたのか、実体験に基づいて書いてあります。
だから、その本を読めば簡単に成功できるような気がします。
でも、自己啓発本を読んだところで簡単に成功はできません。
じゃあ、どうしたら成功できるのか?今日は成功について考えたいと思います。
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なぜ負けず嫌いになってしまうのか?
なぜ負けず嫌いになってしまうのか?
皆さんの周りにこんな人っていませんか?
執拗に自分の意見を主張したり、競争をしている訳でもないのに自分の勝ちを主張してくる人が、、、
そうです、こういう人はいわゆる負けず嫌いって言います
男性たちは基本的に負けず嫌いな人が多いかもしれませんが、中にはそうでない男性もいます
じゃあ、なんでそもそも負けず嫌いになってしまうのでしょうか?
僕が思うに、負けず嫌いな人っていうのは常に人と比較をしてきた(比較されてきた)人です。
比較するのは常に自分よりも勝った人です。例えば、自分の兄であったり、父であったり、友達であったり、先輩であったり、後輩であったりと様々です。
特に幼少期に認められた経験、評価された経験が少ない人は、劣等感を抱きやすく、人と比較し、勝つことに目的をおいて生きるようになります。
僕自身もものすごく負けず嫌いです。
僕は二人兄弟で、兄がいるのですが、昔から兄と競い合っていました。
例えばテレビゲームをするにしても勝つまで、何度もリベンジをしてきたし、喧嘩でもやられたらやり返し、やられたらやり返しを繰り返してきました。
負けず嫌いは悪いことばかりではない?
負けず嫌いなのは悪いことばかりではありません。
日本のような競争社会においてはむしろ必要な要素だとも言えます。
負けず嫌いということは結果を重要視している証拠です。
勝ち負けという結果に至るまでのアプローチではなく、あくまでも相手に勝ったか負けたかだけを見ているからです。
僕の場合、この負けず嫌いの性格がスポーツをやっている時に出てしまいます。
相手が誰であろうと僕は負けるのが嫌いです。
バリバリにスポーツをやって極めてきた相手だろうが、初心者だろうが、誰にも負けたくはありません。
常に勝ちたいと思ってしまいます。
この僕の負けず嫌いな性格は僕が自分に自信がない証拠だとも言えます。
人に勝つことこそが僕という人間の価値を高めてくれる要素となっていると思い込んでいるからです。
でも、よく考えてみてください、、、自分が誰より一番強い存在、上の存在に立つなんて不可能な話です。
僕が神にでもならない限り無理です。
「それは分かるけど、でもやっぱり負けたくはない!」
そう思う方も多いのではないでしょうか。
ここで大事なのは誰と戦うかです。
つまり、目標の設定の仕方ということです。
例えば僕がJリーガーの方とサッカーで戦ったとしましょう。
勝つことなんて不可能です。
戦時中の日本であれば竹槍で戦車に突っ込んで相手を倒すなんて考えたかもしれませんが、そんな根性論は今の時代には通用しません。
じゃあ、誰とも競い合わなければいいんでしょうか。
いきなり上を見過ぎず、もっと身近な相手と競い合えればいいと思います。
僕はサッカーは初心者ですが、その中で自分に合った目標を決めています。
まずは相手のパスコースを塞ぐとか、トラップをしっかりするとか、声を出すとか基本的なことを押さえていくようにしています。
つまり、僕は誰とも競わずにサッカーをしています。
僕は自分の理想、目標に自分の気持ちが負けないにするこそが本当に大事なことだと思います。
負けず嫌いというのは身の回りの誰かと比べて一喜一憂するのではなく、自分の限界に対して負けを認めないことなんだと思います。
新生活に必要なものって?
はじめに
4月からは入学式、入社式と気持ちがワクワクするシーズンですね!
春から新大学生、新社会人!
アパートも借りたし、家具も買ったし、準備万端!
ちょっと待って、、、本当に準備は万全ですか?
確かに生活に必要なものは揃えました。
でも、待ってください本当にそれだけで大丈夫ですか・・・?
新生活を送る上で必要なものは本当にそれだけでしょうか?
新生活に必要なものって?
そもそも新生活で必要なものってなんでしょうか
僕が思うにざっとこんなものが挙げられます
①住居、家具
②お金(バイト等)
③友達(人脈)
④情報
⑤心の準備
新生活、周りに出遅れないためにも②まででは不十分です
ここで大事なのは”③友達”や”④情報”だと言えます
③の友達は特に大事です!
これって別にたくさんの人と知り合った方がいいとかそういうことではありません
どんな人と付き合うのかが大事です
人は誰しも周りの環境や人の影響を受けて生きます
周りに悪い友達がいれば自分も悪い人間になってしまうし、モチベーションの低い人間がいれば、自分のモチベーションも削がれてしまうのです
だから、友達を作る際は自分にとって良い影響を及ぼしてくれそうな人と付き合うといいでしょう。
僕自身は大学に入る前は沢山友達を作ろうかと思っていましたが、どうも自分と気の合う人がおらず、徐々に付き合う頻度も減って行きました。
残念ながら、僕の周りには自分に良い影響を及ぼしてくれそうな人があまりいなかったのです。
それで、僕は大学の先輩を通じて、他大学の方やOBの方など広い人間関係を持つようにしました。
その結果、以前の僕自身にはなかった知識や知恵が身についたし、効率的に大学生活を送れるようになりました。
だから、『どれだけ友達を作るのか』ではなく、『どういう友達を作るのか』なのです
そして、友達を作ることによって、大学生なら大学生活に必要な情報を得られるし、社会人なら社会生活に必要な情報も得られるのです。
したがって、”③友達”によって”④情報”も左右されるのです。
では最後に⑤心の準備。
これ、結構大事だと思うんですよねー
どういう気持ちで臨むのかってことです
僕自身、大学に合格し入学式を迎える時はかなり張り切っていました。
『高校時代にはできなったことをやり、勉強もサークルもバイトも全部頑張ろう!』
そんな風に思っていました。
でも、実際にはそうではなかったです。
サークルは色々探した結果やらなかったし、バイトも高校時代からのバイトを続けました。
勉強は推薦で入ったため、ほとんど受験勉強をしていなかったため、そのしわ寄せがきて、ついていけなかったです^^;
現実はそう甘くはなかったんですよね・・・
僕は大学時代工学部で、機械工学を専攻しておりました。
機械工学科は課題が多く、専門知識も必要な学科で、学内でも留年率の高い学科です。
留年したり、途中で大学を辞める人もちらほらいました。
課題の大変さに心が折れそうになることもありました。
僕が入学前に描いたキャンパスライフのイメージと実際のキャンパスライフは全然違っていて、僕は苦しみました。
でも、どんなに今が大変でも最後まで頑張ろう!
最後までやる人が結局最後に笑うんだと信じ、なんだかんだで大学生活充実して過ごせたかと思います。
だから、心の準備というか、そういう決心というか、信念みたいなものは絶対にあった方がいいと思います。
話があまりまとまらなかったんですけど、よりより新生活を送るためにも今から気持ちの準備もしっかりできたらいいかと思います〜
ではでは〜
自分を好きになれないのはなぜ?
自分を好きになれないのはなぜか?
突然ですが、皆さんは自分のこと好きですか?
僕はあまり好きではなかったです
というか、大嫌いでした
皆さんに続けて質問です。
あなたの身の周りには誰か好きな人はいるでしょうか?
家族、友人、恋人、、、誰でも構いません。
胸に手を当てて考えてみてください。
どうでしょうか、、、?
気の合う友人や身近に気になる人を想像されたでしょうか?
僕も昔からそういう人はいました。
でも、何だろう、、、本当に好きな人というか、愛する人というか、そう言った人はいなかったように思います。
自分が好きな人って自分のことを好きになってくれる人であったり、自分と付き合ってくれる人ばかりでした。
つまり、自分に反発する人や自分に関心のない人、自分と趣味嗜好が合わない人とは苦手意識であったり、嫌悪感を覚えていたのかもしれません。
僕は誰かを好きになることが難しかったのです。
好きというよりは自分にとって都合の良い人、益をもたらしてくれそうな人だけと付き合っていた、そういう感じでしょうか。
僕は自分に対して沢山のコンプレックス(劣等感)を抱えて生きてきました。
それは、自分の容姿(顔や髪型、体型)であったり、性格(暗い、優柔不断、臆病)であったり、肩書き(学歴、資格)であったりとコンプレックスの塊のような人でした。
そして、自分を愛する条件というものを設定していました。
自分を愛する、認めるためには『勉強ができなくてはならない』、『友達が多くなくてはならない』、などと周りの人を比べ、いつも自分の中にあるモノサシで自分を測っていたのです。
自分のモノサシより下回るのであれば、自分を好きになれず、自分をいつもいじめていたのです。
これは客観的な評価ではなく、自分の中にある主観的な、思い込みとも言える評価です。
自分を愛するにはどうしたらいい?
自分を認めることです。
自分のことを認められるのはあなただけです。
周りの人たちもあなたのことを認めてくれることはあります。
それは、テストでいい成績を取った時、賞を取った時、就職した時、出世した時、結婚した時など様々あります。
しかし、これは他人の主観による評価にすぎませんので、必ずしも認めてくれるとは限りません。
むしろ自分の成功を妬み、攻撃してくる人もいるかと思います。
あなたのことを一番にわかって人は恋人や親友、家族ではありません。
あなた自身なのです。
だから、あなたが自分で自分を認めたり、褒めたりできなければ、いつかは苦しくなるのです。
そして、自分を嫌いになってしまうのです。
僕はこの病に相当苦しんできたし、今でも戦っています。
でも、昔と比べれば相当自分を好きになり、愛せるようになったかと思います。
それができるようになったのはなぜか?
それはありのままの自分を受け入れることができるようになったからです。
昔の僕は自分よりも能力や容姿、学歴など様々に優った人ばかりをみて、比較を繰り返してきました。
でも、僕と他人が違うのは当たり前です。
そりゃ、生まれ育った環境も違えば、受けてきた教育も違うし、付き合ってきた人間関係も違うし、全てが違うではありませんか。
これに気が付いた時、とても気分が楽になりました。
そう、僕は僕、あなたはあなた。
そもそも自分が愛されるのに条件なんて必要ないんです。
条件というのは僕たちが勝手に作りあげた妄想に過ぎないのかもしれません。
なぜ人は絶叫マシーンに惹かれるのか?
はじめに
先日友人たちと横浜・八景島シーパラダイス行って来ました!
名前だけ聞くと水族館のイメージが強いシーパラダイスですが、実は遊園地が充実しており、絶叫マシーンもなかなかのものでした。
絶叫マシーンに大行列ができていたのですが、僕は絶叫マシーンが大の苦手なので全く理解できませんでした(汗)
どうして絶叫マシーンに惹かれるのか考えて見たいと思います(もちろん、僕みたいに絶叫マシーンが苦手な人もいますが…)。
もくじ
なぜ絶叫マシーンに惹かれるのか?
人はなぜ絶叫マシーンに乗るのか、これは僕には理解できない永遠のテーマです笑
たぶん、そこに絶叫マシーンがあるからでしょう。
いやいや、それじゃ答えになっていない、じゃあなぜか?
きっとそこにある刺激を求めているから、、、?
普段の生活は実に平凡で、平坦な道、、、曲がりくねった道や傾斜のある道などいつもと違う何かを求めているのではないでしょうか?
僕たちの人生はあらゆるものの繰り返し、ルーティンで形成されています。
学生であれば、時間割通りに授業を受け、講義を聞き、研究をする。
社会人であれば決めれらた時間通りにほとんど変わることのない業務をこなし、作業をし、決まった仲間達と仕事を進めていく。
大体の人間はこんな感じかと思います(そうでない人もいますが、一般論として)。
そんな代わり映えしない毎日にうんざりし、刺激を求めるのでしょう。
絶叫マシーンには日常では味わえない非日常が詰まっている、だから人々は絶叫マシーンに乗るのでしょう。
僕が絶叫マシーンが苦手なのは、決まりきった日常が好きなのかもしれません(ただ単に絶叫マシーンが怖いだけですが笑)
終わりに
絶叫マシーンは僕らに刺激を与えてくれるから乗る。つまり僕らは刺激を求めているのです。
刺激のない毎日に飽きた方は乗ってみてもいいかもしれませんね。
刺激の足りないと感じるならば、絶叫マシーンに限らず新しいことにチャレンジして見るのはいかがでしょうか?
僕は今年始めたこととしてブログと小説の執筆活動をしておりますが、以前よりも毎日が充実し、楽しくやっております。
僕にとってはこのブログが絶叫マシーンなのかもしれませんね、、、
『ダンケルク』で伝えたかったことって?
ダンケルクってどんな映画?
映画『ダンケルク』特別映像(70mmフィルム編)【HD】2017年9月9日(土)公開
映像を観て頂ければ大体の内容は掴めたかと思います。
映画『ダンケルク』は1940年に起きたダンケルクの戦いを描いた作品で、劇中ではドイツ軍に包囲されたイギリス兵が、フランスのダンケルクから脱出する場面に焦点を絞っています。
劇中ではほとんど会話のシーンはなく、映像と音声がメインの映画です。
映像は観客が戦場に迷い込んだと錯覚するほどに迫力のあるもので、音声も戦闘機がすぐそこまで迫ってくるのを感じさせてくれます。
だからこそ、会話のシーンはほとんど必要なかったのかもしれません。
何を伝えたかったのか?
戦争映画ではよく戦争の恐ろしさ、悲惨さを伝えていますが、ダンケルクではそうではないよう感じます。
なぜなら、人を殺すとか、拷問するとか、強姦するとか、暴力的な描写はないからです。
というよりも、ダンケルクで取り残された兵士たちはどのような心境だったのか、救出に来た人たちはどのような思いでダンケルクに向かったのか、そこに焦点があたっています。
取り残された兵士たちは誰かと戦うのではなく、ただひたすら生き抜くためにダンケルクからの脱出を試みます。
『戦争においての勝利は何も敵を倒すことだけではない。』
監督はそれを伝えたかったのではないでしょうか?
終わりに
僕たちは今戦争のない平和な国で暮らしているので、戦うということはほとんどないかと思います。
僕たちは敵と戦うことで勝利を得るのではなく、社会という戦場に取り残された家族や友人を救出し、自分自身も生き残ること自体が勝利なのかもしれません。
競争の激しい日本の社会では、年収や地位で上に立てる人はほんの一握りです。
だからこそ、そこで勝利することを目指すのではなく自分の人生を自分らしく生きること、自分にしかできないことを探し求める、、、そんな人生が最高だと思います。