『アイ・アム・サム』それは、、、親子愛のあるべき姿
はじめに
どうも、たけしです!
最近は映画記事ばかりでちょっとあれですが、皆さんは『アイ・アム・サム』という映画を観たことありますか?
先日、初めて観たのですが、とてもいい話でした。
↑(ちなみに僕は3回くらい泣きました笑)
今日は皆さんにこの映画の魅力を伝えていけたらと思っています。
もくじ
『アイ・アム・サム』それは、、、親子愛のあるべき姿を表した映画
映画をご覧になったことのない方は、まずは予告編を観てください。
では、ストーリーを簡単にお伝えします。
知的障害を持った中年の男性サム(主人公)が自分の娘ルーシーとどう接していけばいいのかというのが、全体のテーマです。
サムは知的障害があり、7歳程度の知能しかありません。
サムは娘のルーシーを周りの人達の協力を得ながらも男手一人で育てていきます。
しかし、ルーシーが7歳になった時に問題が発生します。
それは、ルーシーがサムの知能を超えてしまったのです。
そのため、サムは養育能力がないとソーシャルワーカーに判断され、娘が施設に入れられてしまいます。
そこで、サムは娘の養育権を得るために法廷で戦うことを決意し、エリートの弁護士リタに依頼をします。
サムは知的障害があり、周りの証人たちも知的障害を持った人ばかりであり、有力な証人はいない不利な裁判でありながらも、サムはリタと共に法廷で戦います。
結局裁判では、条件付きで親権は認められたが、ルーシーは養子として里親ランディの元へ行ってしまいます。
それでも、サムは定期的にルーシーに会いにいき、お互いの親子愛を深めていきます。
障害があったとしても、サムはいつも真摯に娘へ愛を注ぎ続け、ついにはランディや周囲の人達と協力してルーシーを育てていくという形で、サムは娘との接し方を見つけ、物語は終わります。
『アイ・アム・サム』を観て、愛があれば、『障害』・『問題』も全て乗り越えられると感じました。
サムは確かに他人よりも知能は劣っていたが、娘へのまっすぐな、純粋な愛は誰よりも優っていたんだと思います。
娘のルーシーも父がたとえ障害を持っていたとしても、代理の親としてなれる人はいないとわかっていたし、確かに父の愛を感じていた、だから二人を引き裂こうとする障害すらも乗り越えることができたのです。
終わりに
僕らは普段どれだけ周囲の人達を愛することができているのだろうか?
愛といっても、本当の意味で相手を愛するというのはとても難しい話です。
もし、仮に自分の恋人が障害を持っていたら?
もし、仮に自分の恋人が周りの人に嫌われていたら?
もし、仮に自分の恋人が今までと違う姿に変わっていたら?
それでも、その人を愛せるでしょうか・・・?
真実な変わらない愛、これができたら世界はきっと変わるんだろうと僕は思います。