なぜ負けず嫌いになってしまうのか?
なぜ負けず嫌いになってしまうのか?
皆さんの周りにこんな人っていませんか?
執拗に自分の意見を主張したり、競争をしている訳でもないのに自分の勝ちを主張してくる人が、、、
そうです、こういう人はいわゆる負けず嫌いって言います
男性たちは基本的に負けず嫌いな人が多いかもしれませんが、中にはそうでない男性もいます
じゃあ、なんでそもそも負けず嫌いになってしまうのでしょうか?
僕が思うに、負けず嫌いな人っていうのは常に人と比較をしてきた(比較されてきた)人です。
比較するのは常に自分よりも勝った人です。例えば、自分の兄であったり、父であったり、友達であったり、先輩であったり、後輩であったりと様々です。
特に幼少期に認められた経験、評価された経験が少ない人は、劣等感を抱きやすく、人と比較し、勝つことに目的をおいて生きるようになります。
僕自身もものすごく負けず嫌いです。
僕は二人兄弟で、兄がいるのですが、昔から兄と競い合っていました。
例えばテレビゲームをするにしても勝つまで、何度もリベンジをしてきたし、喧嘩でもやられたらやり返し、やられたらやり返しを繰り返してきました。
負けず嫌いは悪いことばかりではない?
負けず嫌いなのは悪いことばかりではありません。
日本のような競争社会においてはむしろ必要な要素だとも言えます。
負けず嫌いということは結果を重要視している証拠です。
勝ち負けという結果に至るまでのアプローチではなく、あくまでも相手に勝ったか負けたかだけを見ているからです。
僕の場合、この負けず嫌いの性格がスポーツをやっている時に出てしまいます。
相手が誰であろうと僕は負けるのが嫌いです。
バリバリにスポーツをやって極めてきた相手だろうが、初心者だろうが、誰にも負けたくはありません。
常に勝ちたいと思ってしまいます。
この僕の負けず嫌いな性格は僕が自分に自信がない証拠だとも言えます。
人に勝つことこそが僕という人間の価値を高めてくれる要素となっていると思い込んでいるからです。
でも、よく考えてみてください、、、自分が誰より一番強い存在、上の存在に立つなんて不可能な話です。
僕が神にでもならない限り無理です。
「それは分かるけど、でもやっぱり負けたくはない!」
そう思う方も多いのではないでしょうか。
ここで大事なのは誰と戦うかです。
つまり、目標の設定の仕方ということです。
例えば僕がJリーガーの方とサッカーで戦ったとしましょう。
勝つことなんて不可能です。
戦時中の日本であれば竹槍で戦車に突っ込んで相手を倒すなんて考えたかもしれませんが、そんな根性論は今の時代には通用しません。
じゃあ、誰とも競い合わなければいいんでしょうか。
いきなり上を見過ぎず、もっと身近な相手と競い合えればいいと思います。
僕はサッカーは初心者ですが、その中で自分に合った目標を決めています。
まずは相手のパスコースを塞ぐとか、トラップをしっかりするとか、声を出すとか基本的なことを押さえていくようにしています。
つまり、僕は誰とも競わずにサッカーをしています。
僕は自分の理想、目標に自分の気持ちが負けないにするこそが本当に大事なことだと思います。
負けず嫌いというのは身の回りの誰かと比べて一喜一憂するのではなく、自分の限界に対して負けを認めないことなんだと思います。