人生のゴールとは何か?
こんにちは!
たけしです。
おかげさまで、閲覧数がかなり増えてきました。
いつも読んで下さり、ありがとうございます(#^^#)
今日は『自分の人生』について考えようと思います。
人は誰でも『自分の目標』というゴールに向かって一日一日を歩みながら、時には休みながら生きていると思います。
そもそも『自分の人生の目的』とは何でしょうか?
私は小学生の時に『人生の意味』をとても考えたことがあります。
この人生は何のためにあるのか、そして私はどこから来て、どこへ行くのか、この世界は私だけに見えているゲームのような仮想世界なのかと、、、
そして、私はとても頭が痛くなったのを覚えています。
私はこのように昔から考えるのがとても好きで、妄想にふけることも多かった子だったかと思います。
『人生の目的』については小学生時代を終えてからは、しばらく考えずにいました。
その後、中学、高校時代を終え、大学に入ってからは一人で考える時間も多くあったため、多くの本を読みながら考える機会が多くありました。
その時の私は将来の就職のことが不安でしたが、実際のところは自分の人生の目的地が分からずにいたのが一番の悩みだったと思います。
たくさんお金を稼ぐことや、良い家に暮らし、良い車に乗り、有名人になることが『成功』であることは分かりますが、『人生の目的』ではないと思います。
だから、自分の『人生の意味』を知ることがとても重要だと思います。
私は探し求めて、自分の『人生の意味』を見出すことができましたが、これはかなり時間がかかるかと思います。
まずは考えてみてください!
小さな子供に『何のために生きるの?』と質問されて答えられますか?
子供はとても純粋です。
だから疑問に思ったことは何でも聞きます。
大人になるにつれて物事に疑問を持つ回数が減ってくるかもしれませんが、考えずにいてはいつまで経っても答えは得られません。
求める人には必ず答えが来ます。
今日は自分でも少し難しい内容だったかと思います(^_^;)
読みづらかった方ごめんなさいm(__)m
読んで下さりありがとうございました!
ではでは~(^^)/
どうして自由に生きられないのか?
こんばんは!
今日はとても風が強く、色んなものが飛ばされていましたね。
私の家の物干しも強風で倒されていました(^_^;)
その勢いで私たちの悩みも吹き飛んだらいいですよね(笑)
さて、今日は自由をテーマにお話します。
私たちいつも自由を追い求めて生きていると思いますが、そもそも自由とは何か考えようかと思います。
身体的な自由、行動範囲での自由、食生活での自由、職業選択の自由、婚姻の自由、思想の自由など、様々な自由があるかと思います。
私たちは様々な自由を求めておりますが、すべてはある範囲の中での自由かと思います。
例えば、誰かと焼き肉の食べ放題に行ったとしましょう。
あなたはそこで、どの肉をどれだけ食べても構いません。
食べ放題は無制限に食べられる自由があります。
しかし、それは焼き肉という限られたジャンルの中での自由であり、また、そのお店のメニューの中からという条件つきの自由に過ぎません。
仮にその人が他のお店を知らないならば、とても限られた範囲(そのお店だけ)での自由な選択と言えますね。
私たちは知らないことによって自由を封鎖しているのではないでしょうか?
自由な生き方、考え方を縛ってしまうのは、自分の無知から始まると思います。
自分はできない、どうせやってもダメだと限界を決めること、つまり可能性を狭めることが自由をなくすことだと言えるのではないでしょうか。
つまり、自由になれるかどうかは私たち次第なのです!
固定観念とは文字通り固定されたものだから、そこには自由がないのです。
こうすべき、こうでないといけない。決まりがこうだからなどと、、、
大事なのは常に可能性を信じることです。
人はいくらでも変わることができるし、自由になれます。
遅くなりましたが、今夜はここで失礼します。
自分らしくとは?
こんばんは~
今日は私の考える自分らしさについて考えようと思います。
そもそも自分らしさとはなんでしょう?
私の考える自分らしさとは、自分の気持ちに素直になることだと思います。
私は昔から人に嘘をついたり、自分の気持ちに嘘をつくのが苦手です。
それはどうしてなのか?きっとそれが自分の中での自分らしさなのでしょう。
答えはまだ見いだせていませんが、きっと私は自分の人生を曲げるのを望んでいないでしょう。よく他人に言われるのが、たけしはまっすぐな人間だね。
人に嘘をつけない人を不器用というかもしれませんが、では器用な生き方とはなんでしょう。
人に嘘をつくことやお世辞を言うこと、自分の気持ちに偽って表面的に飾ること、それがもし器用なことならば、私は断固としてそんな生き方はしたくないと思います。
私は周りの人から変わっていると思われる傾向がありますが、むしろ、みんなやってるから(悪いことをしても)あなたもしたら?と同意を求められ、流される生き方はどうかと思います。
人と違うことは人が人である以上、当然ではないでしょうか?それなのに同じであることを求められるならば、それは不可能なことでしょう。
私は私でありたい、これが私の願う自分なのでしょう。
今夜はここでお別れです。
読んで下さりありがとうございました!
自分の人生を生きる
こんばんは~
たけしです!
前回に引き続き、『嫌われる勇気』の続きを紹介したいと思います。
この本では、『他者の期待を満たすために生きてはいけない。』と書いてあります。
人は誰でも周りの人から褒められたい、認められたいという欲求、つまり承認欲求を持っています。例えば、中学生の子供がテストでいい点数を取ったとしましょう。すると、その親は子供を褒めました。子供は親から褒められることで自分の価値を認められたと感じ、承認欲求を満たします。しかし、逆にテストで点数が悪かったならば、親に叱られ、自分の承認欲求を満たすことができず、親に認められるために勉強を頑張り、テストの点数を上げようとします。この中学生の子供は親の期待のために生きていると言えます。つまり、自分の人生を生きているのではなく、親の願う人生を生きていると言えるでしょう。他者の期待を満たすために生きると、本当の自分を捨て、他者の人生を生きることになる。
みなさんはどうでしょうか?本当の自分と向き合い、生きているでしょうか?
私は正直、今までは人から認められることばかり考えていたと思います。
いい大学へ入ることや、いい会社へ行くことばかり、、、
ここで言う『いい大学』、『いい会社』とは有名な大学、有名な会社を考えて頂ければと思います。でも、それは自分の人生にとってはささいなことだと気づかされました。
本当に大事なのは自分の人生を自分らしく生きることだと思います。
今夜はこのへんで失礼します。
嫌われる勇気とは?
どうも、たけしです!
本日でブログ始めて2日目になります~
今日はバレンタインデーでしたね!
会社の人からチョコを頂き、とても嬉しかったです。(義理チョコですが(^-^; )
さて、今日は本題の『嫌われる勇気』という本の紹介をしたいと思います!!
そもそも『嫌われる勇気』とはどういうジャンルの本かというと、心理学の本で、アドラーという心理学者の教えを分かりやすく書いた本です。
この本で印象的だったのが、人間は自分の目的を満たすために行動をしているということです。例えば、一人の不登校の子供がいるとしましょう。その子供はなんらかの理由で学校に行きたくないのだと想像がつきますよね。その理由は学校の友達との関係が悪いのか、勉強が嫌なのか、先生が嫌なのか、などが考えられると思います。しかし、それらはあくまでも原因であり、その子供になんらかの目的があるから不登校という行動をとっているということです。自分の子供が不登校になれば当然親は心配します。子供は無意識に自分が不登校になることで親が心配してくれ、より多くの愛を受けることを望んで不登校という行動をとっているだけに過ぎないという考え方です。
つまり、大事なのは過去の『原因』ではなく、今現在の『目的』にあるということです。
今日は少し難しい話をさせていただきましたが、もっと分かりやすく書けるように頑張ります(^_^;)
ではでは~
ブログ始めました!
どうも、たけしです!
ブログ始めました~!!
早いもので2017年も1ヶ月半が過ぎようとしていますね。
ところで受験生の方はもうそろそろ試験も終わりでしょうか。
また、大学生の方は春休みと社会人の私にとってはうやらましい限りですね~
2月からはプレミアムフライデーが始まりますね(*^-^*)
プレミアムフライデーとは毎月の最終週の金曜日は15時で仕事が終わるという制度です。私の会社では適用されるか分かりませんが(;・∀・)
学生の方は時間があっていいかと思いますが、その分時間をどのように使うのか迷うことも多いですよね。
私は学生の時はとにかくたくさん本を読んでいました。
テーマはミステリー小説や、自己啓発本、心理学など色々読み漁りました。
今でも私は読書を続けておりますが、特に学生の時は将来への投資ができるいい機会だと思うので何もやることがない方は、読書をしてみてはいかがでしょうか?
私のおすすめは最近流行りの『嫌われる勇気』です!
これから毎日少しずつ日々の出来事を書きたいと思います。
どうぞよろしくお願いします~_(._.)_