コットンポットたけし

なにげない疑問をとことん追求します!

新生活に必要なものって?

はじめに

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4月からは入学式、入社式と気持ちがワクワクするシーズンですね!

 

春から新大学生、新社会人!

アパートも借りたし、家具も買ったし、準備万端!

 

ちょっと待って、、、本当に準備は万全ですか?

 

確かに生活に必要なものは揃えました。

 

でも、待ってください本当にそれだけで大丈夫ですか・・・?

 

新生活を送る上で必要なものは本当にそれだけでしょうか?

 

 

新生活に必要なものって?

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そもそも新生活で必要なものってなんでしょうか

 

僕が思うにざっとこんなものが挙げられます

 

①住居、家具

②お金(バイト等)

③友達(人脈)

④情報

⑤心の準備

 

 

新生活、周りに出遅れないためにも②まででは不十分です

 

ここで大事なのは”③友達”や”④情報”だと言えます

 

③の友達は特に大事です!

これって別にたくさんの人と知り合った方がいいとかそういうことではありません

 

どんな人と付き合うのかが大事です

 

人は誰しも周りの環境や人の影響を受けて生きます

 

周りに悪い友達がいれば自分も悪い人間になってしまうし、モチベーションの低い人間がいれば、自分のモチベーションも削がれてしまうのです

 

だから、友達を作る際は自分にとって良い影響を及ぼしてくれそうな人と付き合うといいでしょう。

 

僕自身は大学に入る前は沢山友達を作ろうかと思っていましたが、どうも自分と気の合う人がおらず、徐々に付き合う頻度も減って行きました。

 

残念ながら、僕の周りには自分に良い影響を及ぼしてくれそうな人があまりいなかったのです。

 

それで、僕は大学の先輩を通じて、他大学の方やOBの方など広い人間関係を持つようにしました。

 

その結果、以前の僕自身にはなかった知識や知恵が身についたし、効率的に大学生活を送れるようになりました。

 

だから、『どれだけ友達を作るのか』ではなく、『どういう友達を作るのか』なのです

 

そして、友達を作ることによって、大学生なら大学生活に必要な情報を得られるし、社会人なら社会生活に必要な情報も得られるのです。

 

したがって、”③友達”によって”④情報”も左右されるのです。

 

 

 では最後に⑤心の準備。

 

これ、結構大事だと思うんですよねー

 

どういう気持ちで臨むのかってことです

 

 僕自身、大学に合格し入学式を迎える時はかなり張り切っていました。

 

『高校時代にはできなったことをやり、勉強もサークルもバイトも全部頑張ろう!』

そんな風に思っていました。

 

でも、実際にはそうではなかったです。

 

サークルは色々探した結果やらなかったし、バイトも高校時代からのバイトを続けました。

 

勉強は推薦で入ったため、ほとんど受験勉強をしていなかったため、そのしわ寄せがきて、ついていけなかったです^^;

 

現実はそう甘くはなかったんですよね・・・

 

僕は大学時代工学部で、機械工学を専攻しておりました。

 

機械工学科は課題が多く、専門知識も必要な学科で、学内でも留年率の高い学科です。

 

留年したり、途中で大学を辞める人もちらほらいました。

 

課題の大変さに心が折れそうになることもありました。

 

僕が入学前に描いたキャンパスライフのイメージと実際のキャンパスライフは全然違っていて、僕は苦しみました。

 

でも、どんなに今が大変でも最後まで頑張ろう!

 

最後までやる人が結局最後に笑うんだと信じ、なんだかんだで大学生活充実して過ごせたかと思います。

 

だから、心の準備というか、そういう決心というか、信念みたいなものは絶対にあった方がいいと思います。

 

話があまりまとまらなかったんですけど、よりより新生活を送るためにも今から気持ちの準備もしっかりできたらいいかと思います〜

 

ではでは〜

自分を好きになれないのはなぜ?

自分を好きになれないのはなぜか?

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突然ですが、皆さんは自分のこと好きですか?

 

僕はあまり好きではなかったです

 

というか、大嫌いでした

 

 

 

 

皆さんに続けて質問です。

 

あなたの身の周りには誰か好きな人はいるでしょうか? 

 

家族、友人、恋人、、、誰でも構いません。

 

胸に手を当てて考えてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうでしょうか、、、?

 

気の合う友人や身近に気になる人を想像されたでしょうか?

 

僕も昔からそういう人はいました。

 

でも、何だろう、、、本当に好きな人というか、愛する人というか、そう言った人はいなかったように思います。

 

自分が好きな人って自分のことを好きになってくれる人であったり、自分と付き合ってくれる人ばかりでした。

 

つまり、自分に反発する人や自分に関心のない人、自分と趣味嗜好が合わない人とは苦手意識であったり、嫌悪感を覚えていたのかもしれません。

 

僕は誰かを好きになることが難しかったのです。

 

好きというよりは自分にとって都合の良い人、益をもたらしてくれそうな人だけと付き合っていた、そういう感じでしょうか。

 

僕は自分に対して沢山のコンプレックス(劣等感)を抱えて生きてきました。

 

それは、自分の容姿(顔や髪型、体型)であったり、性格(暗い、優柔不断、臆病)であったり、肩書き(学歴、資格)であったりとコンプレックスの塊のような人でした。

 

そして、自分を愛する条件というものを設定していました。

 

自分を愛する、認めるためには『勉強ができなくてはならない』、『友達が多くなくてはならない』、などと周りの人を比べ、いつも自分の中にあるモノサシで自分を測っていたのです。

 

自分のモノサシより下回るのであれば、自分を好きになれず、自分をいつもいじめていたのです。

 

これは客観的な評価ではなく、自分の中にある主観的な、思い込みとも言える評価です。

 

 

自分を愛するにはどうしたらいい?

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自分を認めることです。

 

自分のことを認められるのはあなただけです。

 

周りの人たちもあなたのことを認めてくれることはあります。

 

それは、テストでいい成績を取った時、賞を取った時、就職した時、出世した時、結婚した時など様々あります。

 

しかし、これは他人の主観による評価にすぎませんので、必ずしも認めてくれるとは限りません。

 

むしろ自分の成功を妬み、攻撃してくる人もいるかと思います。

 

あなたのことを一番にわかって人は恋人や親友、家族ではありません。

 

あなた自身なのです。

 

だから、あなたが自分で自分を認めたり、褒めたりできなければ、いつかは苦しくなるのです。

 

そして、自分を嫌いになってしまうのです。

 

 

僕はこの病に相当苦しんできたし、今でも戦っています。

 

でも、昔と比べれば相当自分を好きになり、愛せるようになったかと思います。

 

それができるようになったのはなぜか?

 

それはありのままの自分を受け入れることができるようになったからです。

 

昔の僕は自分よりも能力や容姿、学歴など様々に優った人ばかりをみて、比較を繰り返してきました。

 

でも、僕と他人が違うのは当たり前です。

 

そりゃ、生まれ育った環境も違えば、受けてきた教育も違うし、付き合ってきた人間関係も違うし、全てが違うではありませんか。

 

これに気が付いた時、とても気分が楽になりました。

 

そう、僕は僕、あなたはあなた。

 

そもそも自分が愛されるのに条件なんて必要ないんです。

 

条件というのは僕たちが勝手に作りあげた妄想に過ぎないのかもしれません。

なぜ人は絶叫マシーンに惹かれるのか?

はじめに

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先日友人たちと横浜・八景島シーパラダイス行って来ました!

 

名前だけ聞くと水族館のイメージが強いシーパラダイスですが、実は遊園地が充実しており、絶叫マシーンもなかなかのものでした。

 

絶叫マシーンに大行列ができていたのですが、僕は絶叫マシーンが大の苦手なので全く理解できませんでした(汗)

 

どうして絶叫マシーンに惹かれるのか考えて見たいと思います(もちろん、僕みたいに絶叫マシーンが苦手な人もいますが…)。

 

www.seaparadise.co.jp

 

 

もくじ

 

なぜ絶叫マシーンに惹かれるのか?

人はなぜ絶叫マシーンに乗るのか、これは僕には理解できない永遠のテーマです笑

 

たぶん、そこに絶叫マシーンがあるからでしょう。

 

いやいや、それじゃ答えになっていない、じゃあなぜか?

 

きっとそこにある刺激を求めているから、、、?

 

普段の生活は実に平凡で、平坦な道、、、曲がりくねった道や傾斜のある道などいつもと違う何かを求めているのではないでしょうか?

 

僕たちの人生はあらゆるものの繰り返し、ルーティンで形成されています。

 

学生であれば、時間割通りに授業を受け、講義を聞き、研究をする。

 

社会人であれば決めれらた時間通りにほとんど変わることのない業務をこなし、作業をし、決まった仲間達と仕事を進めていく。

 

大体の人間はこんな感じかと思います(そうでない人もいますが、一般論として)。

 

そんな代わり映えしない毎日にうんざりし、刺激を求めるのでしょう。

 

絶叫マシーンには日常では味わえない非日常が詰まっている、だから人々は絶叫マシーンに乗るのでしょう。

 

僕が絶叫マシーンが苦手なのは、決まりきった日常が好きなのかもしれません(ただ単に絶叫マシーンが怖いだけですが笑)

 

終わりに

絶叫マシーンは僕らに刺激を与えてくれるから乗る。つまり僕らは刺激を求めているのです。

 

刺激のない毎日に飽きた方は乗ってみてもいいかもしれませんね。

 

刺激の足りないと感じるならば、絶叫マシーンに限らず新しいことにチャレンジして見るのはいかがでしょうか?

 

僕は今年始めたこととしてブログと小説の執筆活動をしておりますが、以前よりも毎日が充実し、楽しくやっております。

 

僕にとってはこのブログが絶叫マシーンなのかもしれませんね、、、

『ダンケルク』で伝えたかったことって?

ダンケルクってどんな映画?

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映画『ダンケルク』日本版予告編 1

 

 


映画『ダンケルク』特別映像(70mmフィルム編)【HD】2017年9月9日(土)公開 

 

映像を観て頂ければ大体の内容は掴めたかと思います。

 

映画『ダンケルク』は1940年に起きたダンケルクの戦いを描いた作品で、劇中ではドイツ軍に包囲されたイギリス兵が、フランスのダンケルクから脱出する場面に焦点を絞っています。

 

劇中ではほとんど会話のシーンはなく、映像と音声がメインの映画です。

 

映像は観客が戦場に迷い込んだと錯覚するほどに迫力のあるもので、音声も戦闘機がすぐそこまで迫ってくるのを感じさせてくれます。

 

だからこそ、会話のシーンはほとんど必要なかったのかもしれません。

 

 

何を伝えたかったのか? 

 戦争映画ではよく戦争の恐ろしさ、悲惨さを伝えていますが、ダンケルクではそうではないよう感じます。

 

なぜなら、人を殺すとか、拷問するとか、強姦するとか、暴力的な描写はないからです。

 

というよりも、ダンケルクで取り残された兵士たちはどのような心境だったのか、救出に来た人たちはどのような思いでダンケルクに向かったのか、そこに焦点があたっています。

 

取り残された兵士たちは誰かと戦うのではなく、ただひたすら生き抜くためにダンケルクからの脱出を試みます。

 

『戦争においての勝利は何も敵を倒すことだけではない。』

 

監督はそれを伝えたかったのではないでしょうか?

 

 

終わりに

僕たちは今戦争のない平和な国で暮らしているので、戦うということはほとんどないかと思います。

 

僕たちは敵と戦うことで勝利を得るのではなく、社会という戦場に取り残された家族や友人を救出し、自分自身も生き残ること自体が勝利なのかもしれません。

 

競争の激しい日本の社会では、年収や地位で上に立てる人はほんの一握りです。

 

だからこそ、そこで勝利することを目指すのではなく自分の人生を自分らしく生きること、自分にしかできないことを探し求める、、、そんな人生が最高だと思います。

 

今日も僕は一日の勝利を掴むために『ダンケルク』のように必死に生き延びたいと思います。

海抜0メートルから富士山1日登頂は可能なのか?

はじめに

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ご無沙汰しておりました。

 

皆さんはお盆休みをどのようにお過ごしでしょうか。

 

僕は富士山に行き、ご来光を観に行っておりました。

 

タイトルの通りですが、富士山1日登頂に挑んで参りました。

 

そこで僕が学んだことを皆さんに共有できたらなぁと思っております。

 

 

富士山1日登頂は可能なのか?

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結論から言いますと可能です。

 

というのも、実際に僕が登って来たからそうなのです。

 

今回僕が選んだコースは『富士山登山ルート3776』というもので、海抜0メートルから標高3776メートル(富士山頂)を目指す全長42キロのコースです。

 

僕は登山部でも登山家でもない平凡なサラリーマンです。僕と富士登頂を目指した仲間は3人で、僕と同様に登山初心者です。

 

登山の経験も知識も全くない僕らは朝6時に富士山のふもとから出発しました。

 

当初の予定では2日間で登頂するというもので、1日目の目標は出発地点からおよそ27キロ離れた表富士グリーンキャンプ場へ17時到着し、1泊する予定でした。

 

しかし、僕たちがキャンプ場へ到着したのはお昼の12時。時間に余裕のあった僕らは2日目に目指す目的地であった富士山6合目を目指すことにし、到着したのは18時でした。

 

出発地点から歩いた距離はおよそ38キロ。疲労困憊であった僕らは山小屋で休憩を取ることにしました。山頂までの残りの距離は4キロ。

 

ご来光を観るためには十分過ぎる時間があったので、僕たちは20時頃まで休憩し、6合目を出発し山頂へ向かいました。

 

富士山7合目を過ぎた辺りから僕たちは自分たちの体の異常を感じ始めました。

 

僕の体力はもう限界に達しており、極度の疲労で眠気との戦いでした。

 

他の皆も僕と同様に疲れを感じ始め、宿も取っていなかった僕たちは富士山8合目と富士山9合目の間くらいの地点で休むことにしました。

 

その時の気温は実際に測った訳ではないのでわかりませんが、上は長袖のヒートテック、ロングTシャツ、レインジャケット、下は長ズボンにレインズボンを着ていましたが、ガタガタ震えるくらいでした。

 

その寒さの中で暖を取る手段もなかったため、男4人でくっつきながら寝る他ありませんでした(笑)

 

それでも富士山の寒さは僕たちの体に大きなダメージを与えたのは言うまでもありません。

 

皆が起きたのは朝の1時半。

 

そこから山頂までの距離は2キロ弱でしたが、僕たちには相当堪える2キロでした。

 

富士山頂付近の冷たい風、暗い山道、疲れ切った肉体、全てが僕に富士登頂への希望を忘れさせました。

 

それでも必ず登頂を成し遂げようと肉体の力を振り絞り、最後は精神の戦いとなりながら、登頂しました。

 

富士山頂に到着したのは朝の3時半頃でした。出発から21時間半の到着となりました。

 

こうして僕たちは富士山を1日で登頂しました。

 

ここで学んだことを皆さんに共有しますと、富士山1日登頂は相当体力に自信がない限りやるものではないです(笑)

 

でも、それでは記事を読んだ意味がないですよね(^^;;

 

そこで、富士山1日登頂に挑みたい方にアドバイスします。

 

富士山1日登頂にはそれなりの準備が必要です。

 

そこで必要なものは大きく分けて3つかと思います。

 

  1. 装備
  2. 体力
  3. 精神力

 

 

 ①の装備ですが、かなり大事です。

 

富士山頂付近は8月の中旬でも6℃くらいしかありません。

 

ですから、富士山のふもと付近での服装であるTシャツに短パンでは確実に凍え死にます。

 

夏でも上下にレインウェア、その下にはフリースやダウンジャケット、肌着にヒートテックは必須です。

 

 

②の体力も①と同様に大事です。

 

僕は普段から週1~2で運動をしているので、それなりに体力はあったのですが、ずっと運動していないという人は絶対にやめた方がいいです。

 

やはり体がもたなくなりますので、、、

 

 

③の精神力ですが、最終的には精神の戦いです。

 

何も根性論を言っているのではありません。

 

しかし、山登りにはハプニングはつきものです。

 

少し予想外のことが起きたくらいでうろたえているようではダメです。

 

予想もできないようなことが起きたり、病気になっても耐えうる精神力は必須です。

 

僕は下山途中に高山病にかかり、激しい頭痛と嘔吐との戦いでした。

 

そんな僕を動かしたのは『帰りのバスに間に合わせるぞ』という強い思いでした。

 

終わりに

 

富士山1日登頂は決して不可能なものではありませんが、それなりの覚悟が必要です。

 

自分を鍛えたい方、強くなりたい方には是非ともおすすめしたいです。

 

これからも僕は別の山を制覇するべく挑戦していきます(笑)

僕が初めて小説を書いて気づいたこと

はじめに

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どうも皆さん、こんにちは^^

 

タイトルの通りですが、僕は人生初の小説に挑み、本日完成しました〜

 

小説を書く中で様々に大変なことがありましたが、友人たちの支えもあり、なんとか書き上げることができました。

 

小説を書く上でのポイントや小説を書くことの楽しさを皆さんにお伝えできたらなぁと思ってます。

 

 

もくじ

 

小説を書くにはどうしたらいいの?

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正直、PC以外何もいりません笑

 

初心者の僕でも書き上げることができたので、特別な文章スキルや知識は何もいりません(文章スキルや知識は後からでも身につく為、無くても問題ないということです)。

 

そんなことないでしょ〜と思うかもしれませんが、本当にそうなのだからそうなのです。

文章を書くだけですから笑

 

あえてこれが必要だと言うのであれば、【やる気】と【持久力】です。

 

僕の場合は自慢ではないですが、【持久力】には少しばかり自信があります。

 

昔から沢山のことを同時にこなすというよりも、一つのことに集中してとことん極めるのが得意な性格であった為、持久力には人並みよりは上だと思っています。

 

つまり、小説を書く上で器用さ、特別な才能は必要ないということです。

 

 

それと【やる気】はやっぱり大事です。

 

僕は仕事をしながらの執筆であった為、土日がメインの執筆だったし、平日もカフェにこもってやるしかありませんでした。

 

だから、毎日の隙間の時間で10分でも書けることがあれば書くようにし、およそ3ヶ月で一つの超短編の小説を書くことができました。

 

時間がない中でもできたのはそれだけやろうとする気持ちがあったからだと思ってます。

 

 

小説を書くと何が良いのか?

大きく分けると3点あるかと思ってます。

 

  1. 自分の考えを整理できる
  2. 文章スキルが身につく
  3. 日常のありがたみを実感できる

 

 

まず一つ目は、自分の考えが整理できることですね。

 

小説もブログも文章を書くことに共通しているのは、自分の考えていることしか書けないことです。

 

自分の頭の中にないことをいきなり書くことはできません。

 

だから、自分が今何を感じていて、何を考えているのかを整理しなければ、文章を書くことはできません。

 

そういった意味では自分の考えを整理するのに小説はかなり良いです。

 

自分が大事にしている価値観も小説には現れます。

 

 

次に、二つ目には、文章スキルが上がることです。

 

当然ですが、書いていくうちに良い文章は書けるようになってきます。

 

 

あとは、自分なりのスタイルも身についていくので、段々文章を書くのが楽しくなっていきますよ。

 

 

最後に、三つ目ですが、日々の何気ない日常に目がいくようになりました。

 

小説で書くことって何もヒマラヤ山脈に登るとか、スカイダイビングだとか特別な体験を書くことだけではありません。

 

むしろ、平凡な日常からの気づき、感じたことを文章にして綴ったものです。

 

だから、小説を書くようになるとそういった日常から学ぶ意欲が自然と湧いて来ます。

 

 

以上3点僕なりに書いて見ましたが、他にももっとあるかと思います。

 

皆さんも探して見ると良いかと思います。

 

 

終わりに

最後に僕の小説を紹介します。

 

良かったら読んで見てください〜

 

臆病なのは悪いことばかりじゃないって知ってた?

はじめに

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突然ですが、皆さんは怖いもの、恐ろしいものってありますか?

 

ヤクザ、連続通り魔、黒塗りの車、、、

 

どれも怖いですよね笑

 

自分の言うのもおかしなものですが、僕は臆病な性格です。

 

ヤクザにビビっているのは言うまでもありません笑

 

でも、そもそもなんで怖いって思ってしまうのでしょうか?

 

今日は臆病な性格になぜなるのか考えたいと思います。

 

 

もくじ

 

臆病になるのは本当の恐ろしさを知っているから

臆病な性格について考える前に、臆病な人とそうでない人の差って何なのか分かりますか?

 

たぶん、臆病な人ってネガティブな人が多くて、そうでない人はポジティブ・・・?

 

そうかもしれません。

 

でも、僕はこう考えます。

 

臆病な人は『知っている人』、そうでない人は『知らない人』、、、ではないでしょうか?

 

ヤクザにしても、黒塗りの車にしても怖いと感じるのは、その恐ろしさを知っているからではないですか?

 

何も知らない小学生にとってはヤクザも、黒塗りの車も怖くないではないでしょうか。

 

怖いものが何もないと言う人は強い人だと思いがちですが、実は知らないだけなのかもしれません。

 

怖いもの知らずと言うくらいですからね。

 

本当に恐ろしいものを知っている人は恐れを抱くのです。

 

ヤクザは大人になれば誰もが恐ろしいものだと思うはずです。

 

じゃあ、臆病な性格な人は知っていることが多いのか?

 

これは難しい問題ですね。

 

ネガティブな性格を持っていて、引っ込み思案な人は何事もやる前から恐れを抱いてしまいがちです。

 

でも、臆病な人は恐ろしいものをしっかりと分かっているケースもあるかと思います。

 

僕も含めて戦争に行ったことの人は戦争の怖さを本当の意味では知りません。

 

戦争に行ったことのある人は戦争に対して恐怖を抱くはずです。

 

これはその人が臆病かどうかよりも、戦争の本当の恐ろしさを肌で実感しているかどうかの違いです。

 

僕たちが恐れを抱くのは事の本質を分かっている場合もあるという事です。

 

終わりに

話がうまくまとまらない部分もありましたが、臆病になるということは何も悪いことではないということ、それを伝えたかったのです。

 

皆さんが恐怖を抱くこと、恐れを抱くことあるのならばもう少し考えてみてください。

 

それは物事の本質を掴んだからかもしれませんし、ただ単に知らなすぎて一歩踏み出せないだけかもしれません。

 

でも、それって人として正常なことです。

 

僕たちが生きているっていう証拠じゃないでしょうか。

 

僕は生きているからこそ死ぬことを恐怖を抱くのです。

 

本当に怖いものに対して恐怖を抱くことが、たった一言で、『臆病』という言葉で片付けてしまうのも少々乱暴なのかもしれませんね。