コットンポットたけし

なにげない疑問をとことん追求します!

他人の目を気にせず、自分らしく生きる方法

はじめに

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僕も含めて日本人は他人からの評価をとても気にする人が多いですが、それって何でなのか考えたことありますか?

 

少なくとも、海外の人たちは日本人ほどに他人の目を気にしていないように思います。

 

他人の目を全く気にせず、傍若無人に振る舞うのもどうかと思いますが、気にしすぎて苦しいものどうかと思います。

 

他人を目を気にせずに、自分らしく生きられたら、、、いいですよね!?

 

今日は、『どうして他人の目が気になってしまうのか?』考えたいと思います。

 

 

もくじ

 

 

他人の目が気になってしまう本当の理由

 僕ら日本人が他人の目を気にしてしまう理由、それは一体何なのか?・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それには、大きく分けて二つの理由があるかと思います。

  1. 学校教育
  2. 日本の風土、歴史

 

まず、一つ目の学校教育について考えます。

 

僕たちが最初に入る学校は、小学校です(ここでは保育園や幼稚園は考えません)。

 

小学校に入って、本格的に僕たちは集団生活をするようになります。

 

集団生活では、規律(ルール)や秩序を求められます。

 

そのため、好き勝手にすること、自分勝手にすることは認められません。

 

それは、皆が気持ちよく学校生活をするために必要なものなので、良いと思います。

 

しかし、問題なのは学校で良いとされる行為があまりにも限定されていることが問題なのです。

 

学校で良い評価を受けるためには学校の規律・秩序を守ることが求められます。

 

テストで良い点数を取ること、遅刻、欠席をしないこと、部活で優秀な成績を残すことなど様々ありますが、一言で言うと、教師(学校側)から見て良い人物になることです。

 

例えば、学校での教育目標として、『自律心を養う・個性豊かな人材を育てる』とあっとしましょう。

 

学校での教育目標通りの人材を育てることが学校の目標ですが、実際には評価される項目のほとんどが、勉強・部活の【できる】・【できない】という形でしか評価されていません。

 

そして、勉強・部活のできない人、規律や秩序を守れない人は、当然評価が低くなります。

 

問題なのは、その人物の表面的な能力によってのみ、評価をしていることです。

 

その人の個性、自律心を養うのがその学校の教育目標ならば、その人がやりたいことを伸ばすために最大限サポートをするのが、学校の役割ではないでしょうか?

 

そして、低い評価を受けて来た学生はどういう行動に移るでしょうか?

 

考えなくても分かるかと思いますが、大抵の人はグレると思います。

 

自分はダメだと思ってしまうのです。

 

 

 

二つ目に、日本の風土・歴史的背景から考えて見ましょう。

 

日本はもともと農耕民族でした。

 

農作物を収穫するためには一人の力ではできませんし、日本は土地が狭いです。

 

だから、皆で協力し合って農業をするしかなかったのです。

 

つまり、生きるために協力しあう精神、和の精神が培われたのだと思います。

 

日本人は外国人に比べて、空気を読むのが得意です。

 

言い換えるならば、常に他人の目を気にしているのです。

 

生きるために必要な良い精神ではありますが、あまりにもその場の雰囲気に合わせてばかりでは、辛いと感じてしまうのではないでしょうか?

 

 

自分らしく生きるには?

 他人の目を気にする人に共通して言える部分ですが、自分への評価が極度に低いです。

 

もっと簡単な言葉で言えば、自分のことが嫌いなのです。

 

自分への評価を上げるためには、自分のことを好きになれば良いのです。

 

でも、それって簡単ではありません。

 

日本人は完璧主義者が多く、自分への理想が高い人が多いです。

 

自分が完璧でなければならない、もっとこうあるべきだと考えがちです。

 

だからといって、自分への理想を下げてしまうのも嫌ですよね?

 

じゃあ、、、どうしたら良いのか・・・?

 

僕が意識しているのは、自分への理想は持ちつつも、焦らないことです。

 

理想の自分を持つことはとても素敵なことだと思います。

 

でも、焦って先を急いでは何も良いことはありません。

 

結果を早く求めすぎるから、苦しくなるのです。

 

サッカーを始めたばかりの初心者が、経験者の人に勝つのは無理です。

 

そんなの当たり前だよ、わかっているよと思いますよね?

 

でも、僕たちは生活の中でこれに似たことをしているのです。

 

自分を好きになるためには結果を早く求めないで、前よりも少し成長できた自分、変わった自分を認めるのです。

 

結果はその積み重ねに過ぎません。

 

『一歩づつ前に進もう、焦らずに、でも確実に・・・!』

ヤンキーはどうしてヤンキーになったのか?

はじめに

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皆さんはヤンキーと聞いてどういう人をイメージしますか?

 

僕は奇抜なファッション、染めた髪、逆立てた髪の人だとイメージします。

 

ヤンキーに対してあまりいい印象がないかもしれませんが、僕はヤンキーが悪だと思いません。

 

そもそも、どうしてヤンキーになる人がいるのか?

 

今日はそれを考えたいと思います。

 

 

もくじ

 

 

ヤンキーになる理由

ヤンキーの人がヤンキーになる理由って、一体何なんでしょう?

 

他の人よりも派手な服装や髪型にするのはなぜでしょうか?

 

それは、きっと人に認められようととった行動です。

 

高校では、成績が良いことや部活で大会に出場することで、教師や親から高い評価をもらえます。

 

反対に学力が悪く、部活もできなければ周囲からの評価も落ちます。

 

ヤンキーとは周囲から評価されず、認められないことで、自分たちの行き場を無くしたことで起きる行動なのです。

 

例えば、校則を破って髪を染めたりするのは、自分が特別でありたいと思うからそうするのです。

逆にクラスの皆が髪を染めていれば、染めないことで特別であろうとするかもしれません。

 

その行動自体を見れば、悪いことかもしれませんが、その行動を起こそうと思ったきっかけは別に悪くないのです。

 

一生懸命に自分の行き場を探そうとしている姿なのです。

 

でも、結局は行き場を見つけられず、もっと悪いことをして、自分が特別であろうとします。

 

だから、ヤンキーの人は誰よりも認められたい、褒められたいという思いが強いはずです。

 

周囲の人たちがその人のことを学力や部活などの狭い視野で見るのでなく、その人の根本である性格や人間性といった部分を理解するべきです。

 

その人がなぜそういう行動を起こしたのか?

 

そこに答えがあります。

 

『大事なの"何をしたのか"ではなく、"なぜしたのか"です。』

 

今の日本の教育では少なくともその人を評価するための項目が少なすぎます。

 

勉強ができて、部活ができることでその人の良し悪しを決めてしまっていいでしょうか?

 

優等生がいるならば、必ず劣等生も出ます。

 

これは、必然的にそうです。

 

もし仮に自分にお前は何をやってもダメだとレッテルを貼られたとしましょう。

 

どんな気持ちになりますか?

 

きっと俺はダメな人間だ、勉強では1位にはなれない。じゃあ他のところで1位になるしかない!と思うでしょう。

 

劣等生とは優等生がいるから発生するのです。

 

じゃあ最初から優等生なんていなければいいのではないですか?

 

そうです!

第3者が順位をつけ、評価すること自体がヤンキーを生み出しているのです。

 

社会がそのように人をダメだと決めつけること、それがその人をダメにしてしまうのではないでしょうか?

 

 

終わりに

僕自身も高校の時に周囲から認められたいという思いは強くあったので、ヤンキーの人の気持ちは少しわかります。

 

正攻法で勝てないのであれば、手段を選ばずにでも勝ちたいと思います。

 

問題なのは現在の社会では評価の仕方が偏っていること・・・

 

一日でも早く、どんな人でも認められる社会、そんな社会が実現されたらいいと思います。

『ビリギャル』が僕に教えてくれたこと

はじめに

 

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映画『ビリギャル』を観たのですが、とてもいい映画でした。

 

『ビリギャル』とは偏差値30だった女子高生さやかが、一人の塾講師坪田との出会いで偏差値を40上げ、慶應大学へ合格するまでを描いたノンフィクション映画です。

 

『偏差値がそんな簡単に上がるなんてありえるのか?』と思うかもしれませんが、映画を観ていると、どうやら成功の法則があったように思います。

 

それでは、受験成功の理由について考えたいと思います。

 

 

もくじ

 

 

なぜ慶應大学へ入れたのか?

主人公のさやかは慶應大学の総合政策部(偏差値70くらいあります)に入りましたが、そもそも偏差値30しか無かった人にそれはできるのでしょうか?

 

『できる!』

僕はそう思います。

 

なぜなら、それだけの要因があったからです。

 

主人公が慶應大学に入れた理由を僕なりに整理しました。

 

 

  1. 指導者に恵まれていた
  2. 周囲に自分を応援してくれる人がいた
  3. 最後まで諦めず、成功を信じ続けた

 

 

僕はこの3つの要素が全て合わさったからこそ、慶應大学へ入学できたのだと思います。

 

まず1番目は指導者に恵まれていたことです。

さやかのやる気を引き出すのがとても上手な講師と出会ったことが一番大きな理由かと思います。

生徒一人一人の可能性を最後まで信じることをしていたし、『ダメな人間はいない』と劇中でも話しておりました。

 

2番目は周囲に応援してくれる人がいたことです。

さやかの友達や塾の仲間、母親がいつも応援していましたが、特に母親がサポートしているのが大きかったと思います。

さやかの母親は塾の受講料を稼ぐために働き、夜勤もしていました。

そして、いつもさやかが辛い時に支え、慶應に入ることを強要せず、応援をしていました。そんな献身的な母親の姿にさやかも心を打たれ、さらに頑張ろうと思えたのです。

 

3番目はさやか自身のメンタルの強さです。

どんなに現在が悪い状況でも、周囲からバカにされても、未来への希望を捨てずに最後まで努力をし続けたことです。

時には、辛く挫折しそうになったこともありましたが、それでも周囲の応援者への期待に応えようとした姿はとてもかっこよかったです!

 

 

終わりに

映画はとても希望的で、未来へ対して前向きになれる内容でした。

 

僕自身も未来への夢を忘れていないのか・・・?と改めて考えました。

 

 

『自分はこれくらいでいいや・・・』

 

『これ以上は高望みをしすぎだ・・・』

 

 

と決めつけてしまっていたかもしれません。

 

『最後まで諦めなければ、できないことなどない!』

 

と教えてもらいました。

 

もっと夢を持って、毎日を輝かしく過ごしたいと思えました。

認知症は高齢者だけの病気って本当?

はじめに

 

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最近は認知症のニュースを多く耳にしますが、皆さんは認知症は自分とは関係のない病気だと思っていませんか?

 

現代では高齢者の4人に1人は認知症(もしくは予備軍)と言われている時代です。

 

そもそも認知症とは、脳が正常に機能しない状態を指します。

 

これだけ患者が多い病気ですが、その原因は未だに不明点が多いです。

 

 

もくじ

 

 

問題の根本は脳の使い方にあった!

認知症が脳の病気というのは多くの人が知っていることかと思いますが、その根本的な原因って知っていますか?

 

これだけ認知症が身近な病気となった時代なのに、無関心でいいのですか?

 

『俺はまだ若いし、大丈夫だ』とはもう言っていられない時代が来ています。

 

認知症は脳の病気であるので、脳が正常に使えていないことが根本的な原因です。

 

先ほど、原因は分からないと言いましたが、脳をどのようにしたら認知症になるという根本的な原因はわかっていないのです。

ですが、脳を正常に使えれば予防できるのは事実です。

 

認知症の予防策としては、例えば、読書をしたり、瞑想をしたり、考えること、運動することが良いですが、どれも脳に刺激があることばかりです。

 

逆に家に閉じこもってばかりで、テレビを見てばかりでは脳にはよくないです。

何も考えずに、ただ流れてくる情報を受け身で聞くだけだからです。

 

認知症を予防するには脳にいいことをしよう

 

僕が認知症を予防するために、普段からやっていることを紹介します。

 

  1. 家ではテレビを全く見ない
  2. 週1で運動
  3. 読書
  4. 瞑想

 

『え?テレビ観ないんですか?それでは時代遅れになってしまうんじゃ・・・』

そう思う方もいるかと思いますが、ニュースであればスマホのアプリでも観られますし、テレビだとCMなど無駄な待ち時間もあり、何かと面倒です。

テレビやゲームは脳に悪いというのは、考えない脳になってしまうからです。

テレビを観すぎたり、ゲームをやりすぎると脳に悪影響が出ると医学的に証明されています。

 

 

また、運動や読書も脳にいいと言われています。 

週1で友達とサッカーをし、ストレス発散し、体の疲れも取っています。

  

読書はだいたい週末に本屋に行き、興味のある本を買って読んでます。

大学時代は月に10冊くらい読んでおりました。

好きな本は心理学や自己啓発本です。

 

 

最後に瞑想ですが、朝起きた後と、寝る前にしています。

最近では瞑想する人も増えているようで、僕も毎日やるようにしています。

一日にやるべきことを頭で整理したり、将来のことや、過去を振り返るようにしています。

瞑想を始めてからは、仕事の効率がかなり上がりましたね。

 

 

終わりに

色々と話しましたが、認知症は便利になった現代だからこそ増えた病気です。

 

便利さ(効率)を追求するのもいいですが、考えないことが認知症の最大の原因です。

 

何も考えずに生きるのでは機械と同じになってしまうので、僕たちにだけ与えられた頭脳を最大限使っていけたらいいですね。 

私の天職って何?

はじめに

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突然ですが、皆さんは自分の天職って考えたことありますか?

 

天職と聞くと、生まれながらに持っている自分の才能、素質みたいに感じる人は多いかと思います。

 

今日は自分の天職について考えたいと思います。

 

 

もくじ

 

 

天職とは?

天職とは天から授かった職業、つまりその人の性質・能力にふさわしい職業を指します。 

 

 天職って聞くと道は一つだけ、ここしかないものだと考えがちですが、ある程度幅があるかと僕は思います。

 

僕にはこのように文章を書くことが楽しいし、自分に合っていることだと思います。

 

なぜなら、僕は色々なことを考えたり、妄想したり、理想を描いたりするのが好きだからです(笑)(←ここだけ聞くと悪いイメージもありますが^^;)

 

天職というのは能力よりも、その人の性格や考え方に合っているかがもっと大事です。

 

例えば、子供に教えるのが好きな人であれば、たとえ学力はなくても教師や塾講師が向いているでしょう。

 

また、乗り物の運転が好きな人であれば、パイロットやタクシードライバー、トラックやバスの運転手が向いています。

 

また、人と話すのが好きな人は営業やカウンセラーが向いているでしょう。

 

このように天職と言っても似たような職業はたくさんあるので、必ずしも一つの職業に縛られる必要はないのです。

 

 

天職が分からないけど、どうしたらいいの?

 

僕も自分自身の天職が分かりません(笑)

 

え?さっきまで天職の話をしておいて分からないの!?

 

そうです、天職って天から授かった職業なので、すぐに見つけることはできないです。

 

自分で探していくしかないです。

 

どうやって探せばいいのか?

 

とにかく経験することだと思います。

 

大学生の人はインターンシップがあるので、そこで職業体験して見るのが一番いいかと思います。

 

私は今メーカーでエンジニアとして働いていますが、それが天職なのかは分かりません。

 

でも、分からないこそ、探し続けることができます。

 

探し続ける中で見えてくるはずです。

 

そして、自分の考えの枠からちょっと出て見ると、意外な自分の良さに気付けるかもしれません。

 

天職を必ず見つられるように頑張ろうとおもいます!

自殺する人が多いのはなぜ?

はじめに

 

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日本では年間およそ2万人の人が自ら命を絶っていると言われています。 

この数字を見て皆さんはどう思われましたか?

 

僕は『日本は非常事態に陥っている・・・このままでは日本の未来に希望がない』と感じました。

 

戦時中の日本では、年間の自殺者数は1万人を下回っている時もありました。

もちろん、今よりも人口が少ない時代でしたので、自殺者も人口に比例して少なくなります。

 

しかし、 どうしてこんなにも経済が発展している今日でも自殺者が多いのでしょうか。

 

 

もくじ

 

 

自殺者数が増えたのはなぜ?

 

1998年にバブル経済崩壊の影響で、自殺する人が急増し、3万人を超えました。

 

自殺者増加の原因として、会社の倒産による失業が考えられます。

 

これは経済的損失も大きいかと思いますが、どうしたらいいのか分からず途方に暮れてしまう人が多いように感じます。

 

日本人は特に仕事を生きがいとしている人もおり、職を失うことで、自分の生きがいを失ってしまうのです。

 

つまり、働くためだけに生きている人が多く、そういった人たちが自殺をしてしまうのではないかと思います。

 

今の時代では食べること、着ること、住むことに困る人はほとんどいないかと思います。

 

しかし、それでも自殺する人は年間2万人にいます。

 

僕たちはただ動物のように、獣のように食べて、着て、住むことでは満足できなくなったのです。

 

社会に進出し、名誉を得ることや地位を獲得したいと願うようになったのです。

 

または、自分の夢を成すために学校や通ったり、会社で働いているのです。

 

ただ、生きることに満足できなくなったからこそ、自殺者が増えていると思います。

 

でも、死んでしまったら全部終わりなのに、どうして自ら命を絶ってしまうんでしょうか・・・? 

 

 

自殺の根本の原因 

どうして、自殺する人が後を絶たないのか、、、?

 

 

 

 

 

それは、、、きっと自分自身の価値に気づけていないからです。

 

自分自身の価値を何かでNo.1になることや勝つことに置いているからではないでしょうか。

 

具体例を挙げると、有名大学に入ることや有名な会社に入ることです。

 

それ自体にどれだけの価値があるでしょうか?

 

確かに有名大学や有名な会社に入れること自体はそれだけ能力、知識があることを証明しております。

 

ですが、それあくまでもその大学、会社に入る上での話に過ぎません。

 

学力が高いことや仕事の能力が高いことが人の価値を決めるのではありません。

 

全ての人はとても貴重で、金のように価値のある存在です。

 

だって、誰一人として魔法のようにこの世に突然現れた人はいません。

 

赤ちゃんの時から親に大事に大事に育てられてきたはずです。

 

でも、僕らはいつも知らず知らずのうちに自分や他人を評価し、誰が上で、誰が下なのかと優劣を決めてしまいます。

 

誰も上の存在はいないし、下の存在もいないのです。

 

みんなが自分を、相手を大事にし、争うことのない日が一日でも早くきたらいいなと思っています。

自分のまわりにいる嫌な人・・・どうしたらいいの??

はじめに

 

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皆さんは、学校や会社で苦手な人、嫌いな人っていますか?

 

『本当はどんな人とも仲良くしたいし、別に距離を置きたくないんだけど、でもやっぱりあいつとは難しいなぁ・・・』

 

誰もがそんなことを一度は考えたことがありますよね?

 

今日は苦手な人との付き合い方について考えたいと思います。

 

 

もくじ 

 

嫌いな人は自分が作り出してしまっている

 

実は嫌いな人って自分が作り出してしまっているって知っていましたか?

 

『え?そうなんですか!?』って思う方いるかと思いますが、そうなんです!

 

人はみんなそれぞれ違う性格を持っており、違う考え方、価値観を持っています。

 

その中でより自分と似ている性格、考え方、価値観を持った人とは共感を持ちやすく、打ち解けやすいです。類は友を呼ぶと言いますね。

 

逆に自分と全然違う性格の人、違う考え方、価値観を持った人とは打ち解けるのが少し難しいかもしれません。

 

そういった場合に気をつけたいのが、【考え方が合わない=苦手な人、敵】と決めつけないことです。

 

先ほども話した通り、人はみんなそれぞれ違う考え方、価値観を持っています。十人十色って言いますよね。

 

だから、考え方や価値観が合わない人がいるのは当たり前なのです。

 

では、そういった人たちとどのように接したらいいのか?

 

まずは、相手のことを認めることです。 

 

なぜって・・・?

 

それは、相手のことを認められない時や、気にいらない時に、その人と自分は合わないと思うからです。

 

まずは、相手のことを理解し、認め、他人と自分は違うのだと他人と自分をはっきりと区別することです。

 

自分と他人の区別ができないと、『自分からしてみたらこれが当然のことのなのに、どうしてあの人はこんな当然のこともできないんだろう?』と感じてしまいます。

 

また、それとは反対に自分にとって苦手なことや嫌なことを、しっかりやる人、できる人というのはどうも目障りだったり、恨めしく感じるものです。

 

 つまり、嫌な人とは自分が作り出してしまっているのです。

 

 

まずは自分を認めること

 

嫌な人とうまく付き合うために、まずは嫌な人のことを認めることが大事だとお話しましたが、実際それって簡単ではありません。

 

じゃあ、どうすればいいのか・・・?

 

 

 

 

相手を認める前に、まずは自分のことを認めることです。

 

相手が嫌なところが目につくのは、自分自身にも似たようなところがあるからかもしれません。

 

例えば、嘘をつくのがものすごく嫌いな人がいたとしましょう。

 

その人は絶対に友人や家族にも嘘をつかないし、約束も破りません。

 

ですから、周りに嘘つきの人がいたとしたら、その人をきっと嫌いになるかと思います。

 

でも、実は相手のことが嫌いなのではなく、どこかで嘘をついてしまっている自分自身のことを嫌っているのかもしれません。

 

過去に自分の気持ちに嘘をついた経験があったのなら、もう二度と嘘をつくまいと決心して生きますが、それでも、人はまた嘘をついてしまうものです。

 

だから、自分に完璧さばかりを追求し、できない自分を責めないで、言い換えるならば短所ばかりをみないで、できる自分、長所を見たらいいのです。

 

そうすれば自分のことも好きになり、相手のことも好きになれます。

 

結局は自分自身を好きになることが、嫌いな人との関係を変えてくれるのです。